薬学生から医学生、その先へ

薬学部から医学部に学士編入した医学生によるブログ。専門はがん幹細胞。アカデミックを目指しながら、事業にも挑戦中。

自己紹介です!

 ブログ訪問ありがとうございます!!!

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このブログ「薬学生から医学生、その先へ」を書いている中村恒星(@kkkkosei777)です 。

現在北海道大学医学部医学科3年生の24歳です。

ざっくりと経歴を書くと

 

公立小中卒→岐阜県立加納高校卒→富山大学薬学部(4年制)卒→北海道大学医学部医学科2年次編入(現在)

 

といった感じで割と珍しい経歴です。

将来は、医学研究者を目指しています。

 

僕がどんな人間なのか自己紹介させていただきます。

 

 

生まれ

1995年岐阜県生まれ。

けっこう大きな赤ちゃんだったらしい。

でも、先天性心疾患のファロー四徴症を患っており、物心ついたころには胸に大きな開胸手術の跡があった。

開胸手術を2回、カテーテル手術を1回経験している。

 

いろいろ大変だったみたいだけど、家族の支えもあってすくすくと成長。

幼い時から医療が身近だったのは、今の自分に繋がっていると感じる。

 

とにかく支えてくれている家族には感謝したい。

www.med-pharm-blog.com

 

 

小学校時代

小学2年生のとき、3個上の兄の影響もあり、野球を始める。

スポーツ少年団に入団して、一生懸命野球を頑張った。

 

小学校6年生の時には、全国大会の県予選でベスト16まで進出した。

小学校のトーナメントは学校数がとんでもなく多いから、ここまで勝ち進むのもすごい大変だった

 最後、全国大会の予選で負けた時にみんなで泣きまくったのは懐かしい思い出。

 

当時の仲間は僕にとって、なんだか思い入れがあってとても大好きです。

彼らに会うと、当時のワクワクした気持ちが蘇ってくる

 

彼らとはもう随分と会ってないけど、再開の楽しみは心の中にしまっておきます。

 

中学校時代

地元の中学に進学したけど、中学校の野球部には所属せず、ボーイズリーグの硬式野球チームに所属した。

 

しかし、この硬式野球チームで人生で初めて「挫折」を経験する。

 

それは、

 

「レギュラーがとれない」

 

このチームには、小学校の時に各チームで主力だった選手が続々と集まっており、全く彼らに歯が立たなかった。

後に甲子園に出るような選手の中で僕は完全に埋もれてしまった。

全然試合にも出させてもらえなかった。

でも僕は腐らずにできることを頑張った。

 

そうしたら、中学3年生になった時には、レギュラーとして大会に出ることができた。

 よく這い上がった自分。よく頑張った。褒めたい。

 

一方で僕は勉強はそこそこできた。

 

周囲から県で1番の進学校を勧められるも、「真剣に甲子園を目指したいから」という理由で受験を拒否。 

 

この頃から自分の意思を貫く子どもだった。

 

でも勉強もちゃんとしたかったから、進学校で一番甲子園に近い学校はどこか。

真剣に調べた。

 

すると、当時ボーイズリーグの硬式野球でライバルだった選手たち数名がとある進学校への進学を希望しているとの情報を手にいれ、

 

「ここなら真剣に甲子園を目指せる」

 

と思い、県内でそこそこの進学校に進学する。

 

 

高校時代

高校時代は、勉強と野球しかしなかったといっても過言ではない。

 

平日は、授業後、夜7時過ぎまで限られた時間で練習をして、そのまま予備校へ直行し夜10時まで講義を受け、帰宅後食事をとり、その後自主練または勉強。

 

土日は、丸1日練習試合をし、その後自主練もしくは夜まで予備校。

 

通学の信号待ちでも勉強してたし、休み時間もおにぎり食べながら勉強してた。

そんな毎日だった。鬼忙しかった。

 

遊ぶことなんてほぼなかったし。

かなり真面目に野球に打ち込んでいたし、選手同士で怒鳴り合うことも多々あった。

もちろんいい意味で。

 

高校3年の時はレギュラーを勝ち取り、最後の夏を迎えた。

ベスト16まで勝ち進んだけど8決めで、シード私学に8回に逆転され負けた。

 

甲子園には行けなかったけど、最高の仲間と最高の夏を過ごせたことは、僕にとってかけがえのない財産になっているかな。

 

あと、この鬼忙しい日々は、僕の忙しさの閾値をかなりあげた。

この経験があるから、ちょっとのことじゃ忙しいなんてまったく思わなくなった。

 

いつも「あの時に比べれば」と思えるから大抵のことは余裕。

ナイス。

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高校最後の試合



 

部活引退後、受験勉強に打ち込む。

しかし、この受験勉強で僕は、2度目の「挫折」を経験する。

 

高1の頃から薬学部を志望していた僕だったが、部活引退後センター模試は40%。

相当焦った(笑)

 

しかし、野球で培った持ち前のガッツで4カ月で80%まで成績を上げた。

 

相当頑張った。血眼になって勉強した。

 

でも、前期東北大、中期名古屋市立大ともに不合格。

努力をしても報われないことをまざまざと見せつけられた18の春だった。

 

でも、ありがたいことに後期で富山大に合格。

進学するかかなり悩んだ。

 

でも親が背中を押してくれた。

「薬学を勉強したくてもできない人は世の中にたくさんいる。その人たちの分も頑張れよ。その先、自分の力で道を切り開いたら、できる限りの支援をするから。」

 

この言葉があったから頑張れた。

進学を決意。

 

   

 

大学時代①

薬学部の時は、どこにでもいるような普通の大学生だったと思う。

勉強して、部活して、飲み会して、恋愛もして。

とっても楽しい日々を過ごさせてもらったな。

 

出会ったみんなには本当に感謝したい。

 

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楽しかった部活

 


でも、大学3年の夏。僕の意識が変わる。

ジャパンハート (http://www.japanheart.org/)の活動に参加し、ミャンマーの医療の現場を肌で感じた。

満足な治療を受けられずに、人が亡くなっていく現状を目の当たりにした。

 

「このままじゃいけない」

 

純粋にそう思った。

 

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それまでは研究者志望一本だったが、研究だけではなく、医療のシステムそのものを変えたいと思うようになった。

そのためには今の医学を知らなければいけない。

そう思い医学部学士編入試験の受験を決意する。

 

しかし、その後の研究室配属でかなりしんどい研究室(有機合成化学)に配属されることになり、卒業研究と受験勉強の狭間で死にそうになる。

 

あのときのプレッシャーは半端じゃなかった。

友達からも「お前大丈夫か?」って何度いわれたことか。

本当にしんどかった。

 

でも、そばで支えてくれる人に恵まれて無事乗り越えられた。

今でも本当に感謝している。

 

 

大学時代②

北海道大学医学部の学士編入試験に合格し、医学生となる。

そして2年の春。表皮水疱症友の会 DebRA Japan(http://debra-japan.com/)と出会う。

この出会いが大きく僕の生活を変えることになる。

 

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表皮水疱症とは、先天性の皮膚難病で皮膚がボロボロとめくれてしまい、強い痛みを伴う疾患。

患者さんと交流をする中で、

「この病気の患者さんたちのために僕ができることはないだろうか。」

そう考えるようになりました。

 

患者さんと時間を共有する中で、食事に大きな課題を抱えていることがわかった。

「ポテトチップスを食べるとトゲのついた板を食べているような感覚。」

想像を絶するものだった。

 

患者さんにも食の楽しさを感じつつ、栄養をとって元気になってほしい。

そう思い、タンパク質からビタミン、ミネラルまで全ての栄養が摂取できるチョコレートを開発し、株式会社SpinLifeを起業した。

 

readyfor.jp

 

今までいたって普通の学生だった僕にとっては本当に大きな挑戦になる。

だけど、僕の周りには優秀なメンバーと応援してくださるたくさんの方がいてくれる。

だからこそなんとか頑張って、この事業を通して実現したい世界を自分なりに表現していきたい。

 

大事にしていること

「一期一会」

  

僕は今まで、たくさんの人に出会ってきました。

その全ての人との出会いが僕を成長させてくれました。

また、会社を経営しているとひとりでできることの限界をまざまざと見せつけられます。

人はひとりではなにも成し遂げられない。

だから出会いが大事なんだと、毎日痛感しています。

 

これからもっとたくさんの人に出会うでしょう

その一人ひとりとの出会いを大事にして、お互い高め合える関係をより多くの人と築いていきたい。

  

  

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最後まで読んでいただきありがとうございました!!!